2011年11月1日火曜日

西尾維新 “少女不十分”

 そして僕は『お話』を始める。ソファで夢うつつのUに、囁くように。緊張で上擦っていた僕の声も、いつしかニュートラルなものになっていた。意識するまでもなく。それはきっと語るのが、僕の言葉ではない『お話』だったからだろう。僕という個人は消失し、僕はただの語り部になる。
 だけど僕がおとぎ話としてUに語り続けたのは、桃太郎のように『正しくて強い者が勝つ』話ではなかった。シンデレラのように『真面目な者が報われる』話でもなければ、白雪姫のように『心の綺麗な人間が見初められる』話でもなかった。
 僕がUに語ったお話は……物語は、一般的ではない人間が、一般的ではないままに、幸せになる話だった。頭のおかしな人間が、頭のおかしなままに、幸せになる話だった。異常を抱えた人間が、異常を抱えたままで、幸せになる話だった。友達がいない奴でも、うまく話せない奴でも、周囲と馴染めない奴でも、ひねくれ者でも、あまのじゃくでも、その個性のままに幸せになる話だった。恵まれない人間が恵まれないままで、それでも生きていける話だった。
 それはたとえば、言葉だけを頼りにかろうじて生きている少年と世界を支配する青い髪の天才少女の物語である。またたとえば、妹を病的に溺愛する兄と物事の曖昧をどうしても許せない女子高生の物語である。知恵と勇気だけで地球を救おうとする小学生と成長と成熟を夢見る魔法少女の物語である。家族愛を重んじる殺人鬼と人殺しの魅力に惹きつけられるニット帽の物語である。死にかけの化物を助けてしまった偽善者と彼を愛してしまった吸血鬼の物語である。映画館に行くことを嫌う男と彼の十七番目の妹の物語である。隔絶された島で育てられた感情のない大男と恨みや怒りでその身を焼かれた感情まみれの小娘の物語である。挫折を知った格闘家と挫折を無視する格闘家の物語である。意に反して売れてしまった流行作家と求職中の姪っ子の物語である。奇妙に偏向した本読みと、本屋に住む変わり者の物語である。何もしても失敗ばかりの請負人とそんな彼女に好んで振り回される刑事の物語である。意志だけになって生き続けるくのいちと彼女に見守られる頭領の物語である。
 とりとめもなく、ほとんど共通点もないそれらの話だったが、でも、根底に漂うテーマはひとつだった。
 道を外れた奴らでも、間違ってしまい、社会から脱落してしまった奴らでも、ちゃんと、いや、ちゃんとではないかもしれないけれど、そこそこ楽しく、面白おかしく生きていくことはできる。
 それが、物語に込められたメッセージだった。
 僕であろうとUであろうと、誰であろうと彼であろうと、何もできないかもしれないけれど、生きていくことくらいはできるんだと、僕はUに語り続けた。
 いつしか日は暮れ、夜になったけれど、他に何をするでもなく、僕はUに『お話』を続け、Uはそれを、聞き続けた。
 当然のことながら、そんな『お話』なんて実在しない。どこにもない。世間で知られる『お話』はどれもこれも、僕達みたいな人間には冷たくて、正しくあれ、強くあれ、清らかであれ、一般的であれ、まっとうであれと語りかけてくる……みんなと仲良くやれと、他人を思いやれと、ある階層の人間にとってはできもしない無理難題を要求してくる。今のUには、そんな教訓じみた話は、説教じみた話は、とてもできない。
 だから僕は物語を作った。即興で、行き当たりばったりだったけれど、とにかく言いたいことをぎゅうぎゅうに詰め込んで、Uに語った。
 大丈夫なんだと。
 色々間違って、色々破綻して、色々駄目になって、色々取り返しがつかなくて、もうまともな人生には戻れないかもしれないけれど、それでも大丈夫なんだと、そんなことは平気なんだと、僕はUに語り続けた。
 英雄の話ではなく、救世主の話でもない、異端者ばかりの話を、いつまでもいつまでも、果てることなく語り続けた。

0 件のコメント:

コメントを投稿